【世界史】ポルトガルの繁栄と衰退の理由と歴史について簡単に解説

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ポルトガルの繁栄と凋落について

ポルトガルは、15世紀から16世紀にかけて、大航海時代と呼ばれる時期に世界的な覇権を握っていました。この時期、ポルトガルの航海者たちは、アフリカ、アジア、そして新大陸である南アメリカにまで進出し、貿易と植民地支配を拡大しました。ポルトガルは、その時期に最も強力な海洋国家であったとされています。

しかし、17世紀から18世紀にかけて、ポルトガルは経済的に衰退し始めました。主要な要因としては、イギリスの勢力拡大や、ポルトガルが所有していた植民地の利益が減少したことが挙げられます。また、内部の政治的な混乱や、国内の貧困化もポルトガルの凋落を招いた要因となりました。

19世紀に入ると、ポルトガルは植民地を維持するために多くの努力をしましたが、20世紀に入ると、独立運動が起こり、ポルトガルの植民地は次々と独立を果たしました。この時期、ポルトガルは長期にわたる独裁政権下に置かれ、政治的な不安定さや経済的な困難が続きました。

21世紀に入ると、ポルトガルはEUに加盟し、経済的には比較的安定しています。しかし、未だに失業率が高く、財政赤字や国債の問題も抱えており、課題が残されています。

 

なぜポルトガルが大航海時代に世界的な覇権を握ることができた?

ポルトガルが大航海時代に世界的な覇権を握ることができた要因は、以下のようなものがあります。

  1. イスラム教勢力との対立 ポルトガルは、イスラム教勢力によって支配されていたアフリカの海岸部に進出し、アフリカ西岸やインド洋に至る航路を開拓しました。当時、イスラム教勢力が支配するアラブやオスマン帝国は、ヨーロッパ諸国との貿易を支配しており、ポルトガルはそれに対抗することで経済的な力を得ることができました。
  2. インド航路の発見 1498年にヴァスコ・ダ・ガマが、アフリカ南端の喜望峰を回り、インドに到達したことで、ポルトガルはインド航路を開拓することができました。これにより、スパイスや宝石などの高価な商品を輸入することができ、ポルトガルの富の源となりました。
  3. 精度の高い航海技術の開発 ポルトガルは、航海に必要な技術や装備を独自に開発し、航海に必要な精度の高い航海図や星図も作成しました。これにより、ポルトガルは海上での優位性を確立し、他の国々との競争力を高めることができました。
  4. ポルトガルの商業上の優位性 当時のポルトガルは、ヴェネツィアやジェノヴァなどの大商人たちが支配する地中海の商業圏からは外れており、海洋貿易を通じて世界各地との貿易を行うことで、自国の経済的な繁栄を実現することができました。

以上のような要因が、ポルトガルが大航海時代に世界的な覇権を握ることを可能にしたとされています。

 

ポルトガルが精度の高い航海技術の開発できたのはなぜか?

ポルトガルが精度の高い航海技術を開発できた主な要因は、以下のようなものがあります。

  1. 地理的な位置の特性 ポルトガルは、大西洋に面しており、海洋交通の要衝としての地理的な位置を持っていました。このような特性から、ポルトガルの船乗りたちは、海上での経験を積み重ねることができ、精度の高い航海技術を開発することができました。
  2. ポルトガル王室の支援 ポルトガル王室は、航海技術の発展を支援し、船乗りたちに対して航海の研究や装備の開発を奨励しました。これにより、ポルトガルの航海技術は急速に進歩し、航海の安全性や精度を高めることができました。
  3. 新しい技術の導入 ポルトガルは、他の国々から新しい技術を導入することで、航海技術の発展を促しました。例えば、ポルトガルはアラビア文字の知識を取り入れ、海図の作成に活用しました。また、アストロラーベやクアドラントなどの新しい測量器具を開発したことも、精度の高い航海技術の発展に貢献しました。
  4. 競争の激化 ポルトガルは、他の国々との競争によって、より精度の高い航海技術の開発を迫られました。特に、スペインとの競争は激しく、ポルトガルはスペインとの競争に勝つために、新しい技術の開発に注力しました。

以上のような要因が重なり、ポルトガルは精度の高い航海技術を開発することができました。これにより、ポルトガルは大航海時代において、海上の覇権を握ることができました。

 

ポルトガルはどのような海洋貿易を行い繁栄したのか?

ポルトガルは、15世紀から17世紀にかけての大航海時代に、海洋貿易を通じて繁栄しました。その主な貿易品目は以下の通りです。

  1. スパイス ポルトガルは、アジアのスパイスの生産地であるインドや東南アジアを目指し、航海を行いました。彼らは、カルダモン、シナモン、クローブ、コショウ、ナツメグなど、高価で希少なスパイスを輸入し、ヨーロッパで高値で販売しました。
  2. 綿花 ポルトガルは、西アフリカや中央アフリカから綿花を輸入し、ヨーロッパで加工された綿製品を製造していました。
  3. 金・銀 ポルトガルは、ブラジルやアフリカのゴールドコーストなどから、貴金属の採掘や貿易を行いました。また、彼らは東アジアからの貿易によっても大量の金銀を獲得しました。
  4. 奴隷 ポルトガルは、アフリカから奴隷を輸入し、アメリカ大陸でのプランテーション農業に使用しました。

これらの海洋貿易により、ポルトガルは莫大な富を蓄積し、繁栄を享受しました。また、彼らは航海技術の進歩や地理的知識の発展に貢献し、ヨーロッパの地図や地理的認識に革命をもたらしました。

 

ポルトガルが所有していた植民地の利益が減少したのはなぜか

ポルトガルが所有していた植民地の利益が減少した主な原因は、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの産業革命と関連しています。以下にその詳細を説明します。

  1. 競合他国の台頭 17世紀後半から18世紀にかけて、オランダ、イギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国が海外植民地を獲得し、貿易に参入しました。彼らはポルトガルとの競争を激化させ、ポルトガルが独占していたスパイス貿易などでの利益が減少しました。
  2. 貿易の変化 17世紀後半から18世紀にかけて、ヨーロッパの消費者は綿製品や鉄などの産業製品に需要が高まり、貿易の中心はスパイスからこれらの製品へと変化しました。しかし、ポルトガルはこのような産業製品を製造する能力が限定的であり、他国との競争に負けることが多くなりました。
  3. 輸出品の価格下落 17世紀後半から18世紀にかけて、ポルトガルが主要な輸出品であった綿花やスペインの銀の価格が下落しました。このため、ポルトガルは輸出品の価格競争力を失い、利益が減少しました。

以上のような要因により、ポルトガルが所有していた植民地の利益が減少し、ポルトガル自体の経済的・政治的力も低下しました。

 

ポルトガル内部の政治的な混乱とは具体的に

ポルトガル内部の政治的混乱は、17世紀後半から18世紀にかけて続いたアブソリューティズム時代の終焉、フランス革命などの影響を受けて、19世紀初頭には深刻化しました。

以下に、具体的な政治的混乱の事例をいくつか挙げます。

  1. ポルトガル王国の不在 18世紀初頭、ポルトガル王国の国王であったドン・ジョアン5世が統治に失敗し、経済的破綻を招きました。その後の王たちも同様に統治に失敗し、国内は政治的混乱と財政難に陥りました。
  2. ポルトガル革命 1820年代には、フランス革命やイギリスの議会制民主主義の影響を受けたポルトガルの中産階級が政治改革を求めて革命を起こしました。この革命により、立憲君主制が導入されましたが、新政府も統治に失敗し、政治的混乱が続きました。
  3. 二度の共和制 20世紀初頭には、共和主義者たちが政治的な影響力を拡大し、1910年には王政が廃止され、初代ポルトガル共和国が成立しました。しかし、政治的混乱や経済的困難が続き、1926年には軍によるクーデターが発生し、第二共和制が成立しました。

以上のように、ポルトガルは王政や共和制などの政治的制度が変遷し、混乱を繰り返しました。このような政治的混乱が、国内の経済的・社会的不安定につながり、ポルトガルの衰退に繋がったと言われています。

 

ドン・ジョアン5世はなぜ統治に失敗した?

ドン・ジョアン5世は、ポルトガル史上最長の統治期間を持つ王であり、1715年から1740年にかけて統治を行いました。彼の統治期間中には、多くの重要な政治的・経済的な変化がありましたが、その中でも最も重要な出来事は、彼の対外政策における失敗でしょう。

彼は、ポルトガルの植民地帝国を拡大するため、多額の費用をかけてブラジルやアフリカの植民地を支配下に置こうとしました。しかし、このような大規模な植民地支配には多額の費用がかかり、国内の経済状況は悪化しました。また、彼が行った宗教改革によって、教会と国家の関係が悪化し、教会による反対運動が起こったことも、彼の統治に失敗した一因とされています。

さらに、彼は権力を集中させ、絶対主義的な手法を用いて政治を行ったため、国内の反感を買いました。そのため、彼の死後は国内の政治的混乱が起こり、絶対主義から立憲君主制への移行が進むことになります。

 

ポルトガルの歴史について

ポルトガルの歴史は、古代から現代まで様々な時代を経てきました。以下に、代表的な出来事や時代を挙げていきます。

  • 古代: ポルトガルには先史時代から人が住んでいましたが、歴史上のポルトガルの起源は、紀元前7世紀にフェニキア人やギリシャ人によって建設された植民都市であるポルトゥス・カレ(現在のポルト市)に遡ります。その後、共和政ローマやウスカリ族、西ゴート族、イスラム教徒などの支配下に入りました。
  • 中世: 12世紀後半から13世紀初めにかけて、ポルトガルはキリスト教国家として独立を果たし、国王アフォンソ1世の下で王国が統一されました。その後、13世紀から14世紀にかけては、ポルトガル王国はアフリカ西岸のギニア海岸やアゾレス諸島を含む領土拡大を進め、15世紀には大航海時代を迎え、ヴァスコ・ダ・ガマによってインド航路が開かれました。
  • 近世: 大航海時代の成功によって、ポルトガルは16世紀には世界的な覇権国家として繁栄しました。しかし、17世紀以降は植民地に対する負担が増加し、ブラジルにおける金鉱山の衰退もあって経済的な衰退が進みました。18世紀には王朝がスペインに支配されたり、内部の政治的混乱が続いたりするなど、不安定な時期が続きました。
  • 近代・現代: 19世紀に入ると、ポルトガルはブラジルの独立や植民地の一部の喪失を経験しました。20世紀に入ると、共和政が宣言され、第一次世界大戦に参戦しましたが、国内では政治的混乱や経済的困難が続きました。1974年のカーネーション革命によって、ポルトガルは独裁体制から民主主義体制へと移行し、現代に至っています。

以上が、ポルトガルの代表的な歴史的な出来事ですが、ポルトガルの歴史には様々な文化的、社会的な変化もあります。以下に、代表的なものを挙げます。

  • ロマンス諸語の発展: ポルトガル語は、ラテン語から発展したロマンス諸語の一つです。中世には、ポルトガル語はガライシア語やレオン語などの隣国の言語と共通点があり、また、アフリカやアジアの植民地でポルトガル語が広がることによって、現在では世界で話されている主要な言語の一つになっています。
  • 文化的交流: ポルトガルは、古くから様々な文化的交流がある国です。アラビア文化やユダヤ文化、カトリック文化、アフリカ文化、ブラジル文化など、様々な文化がポルトガルの文化に影響を与えてきました。
  • 音楽: ポルトガルは、フェドラ・ポルトガリェーザやファドといった独自の音楽があります。フェドラ・ポルトガリェーザは、ポルトガルの伝統的な音楽で、主にギターと歌によって演奏されます。ファドは、リスボンやポルトなどの都市部で生まれた音楽で、悲しみや切なさを表現する歌詞が特徴です。
  • 料理: ポルトガルの料理には、海産物や肉料理、ソーセージなどがあります。特に、バカリャウ(干し鱈)やスルド(豚の血を使ったソーセージ)、カルド・ベルデ(緑のスープ)などは代表的な料理です。

以上が、ポルトガルの歴史についての概要と、その文化的、社会的な側面です。

 

 

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